古布のご紹介


by saiyuu2
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<   2016年 01月 ( 8 )   > この月の画像一覧

お早うございます 秋田の刺し子です。
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 秋田刺し子の大変希少なアイテムです。

刺し子布を作り、そして それらをつなぎ合わせて伊達野良着に仕立て上げられています。

刺し子には、「け」の日に使うアイテムと「晴れ」の日に使うアイテムが有ります。

刺し糸は、シングルスレードを「晴れ」の日用、Wスレードを「け」の日用に簡単に振り分けることができますが、完全ではありません。

このアイテムの場合 Wスレードですが、文様構成によってシャレ着的な野良着と判断できます。

明治から大正頃のアイテムでしょうが、希少アイテムなのでほかに当地で同類の覚えがありません。

一応秋田採集なので秋田製だろうと思います。特に文様が特徴的ではありませんので 労働着的な野良着ではあるが「晴れ」の日仕様と考えるのが妥当でしょう。文様は、麻の葉文様と細かい升尽くしです。まったくのオリジナルではないので、幾つかの完品が消耗されたアイテムの良い部分を布材としたものでしょう。  継ぎ接ぎ刺し子です。

いずれにしてもいろんな木綿布の寄せ集めで構成しています。「わかめのような」古手木綿からなる刺し子ではありません、もう少し余裕の布構成です。
山形県内陸地域でも 時代は違うようですが、 同様のような仕上がりの刺し子が散見されます。

刺し子は、手に覚えのある縫い手がいれば 土地の風習のみに染まることなく 縫い覚えた刺し子に混合させた 希少アイテムが出来上がり、寄せ紋様となり そこには時に美しい進化が顔を出します。

ほかにも 異端の構成は有ります。

ではまた
by saiyuu2 | 2016-01-31 04:59 | Comments(0)
おはようございます 庄内の筒描布団です。
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久しぶりに庄内の筒描の画像です。

一見すると地味目な 画像ですが、筒引きの精度の高さや地味ながらまとまった文様構成に

繰り返しますが 地味ながら職人の技術の手堅さを見ることができます。

色んな地域の筒引きの線や文様構成を多く見ることで、それは判断できます。

この地の質実剛健の思想は、人体の毛細血管のごとく隅々の人々にまでいきわたっています。

その中で職人さんの腕の見せ所は、地味ながら線の正確さ、一気に書き上げてもぶれない構成力です。
その為、芝居幕等の かなりの大画面であろうと そのことは発揮されています。

ではまた
by saiyuu2 | 2016-01-29 04:08 | Comments(0)
おはようございます。 キリスト教 司教様の式服です。
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ここから、背面です。
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昔に日本に伝えられました。              ではまた
by saiyuu2 | 2016-01-23 04:37 | Comments(0)
おはようございます 岩手の襤褸続けます。
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このいわての襤褸は、大正期のアイテムです。

このころになると一般にも木綿布が手ごろに出回るようになり、木綿は誰もが着用することとなります。

明治末くらいまでは 表側を見てもらいたい布材の壱枚もので構成し 裏地は、あくまでも表側と同じくらいの面積の員数合わせ的な量の布材が有ればよかったのですが、

このアイテムのように「誰か」が表側を継ぎ接ぎで表現したくなりました。

表を継ぎ接ぎで表現したい感覚は、この時代に常日頃から縫い子が持っていた感覚とも思えません。今日でも、壱枚同一布でなく 継ぎ接ぎのある衣服は、今でも貧困を表すかのように感じ取られる感覚が有りますが、何か ほかの人とちがうアイテムを着てみたいと考えた異端の表現者の存在が有ってこのアイテムは、遺されました。

きちんとした同一布材による衣服をすっきりした見映えと考えた背景において あえて継ぎ接ぎを表側で表現したかった思いの中に 人々の衣服史の繰り返しをこの縫い子は、知っていたでしょうか。

物の供給が潤沢となって 継ぎ接ぎ文様表現としての「襤褸」が生まれてきました。

継ぎ接ぎ襤褸による藍の濃淡表現をその縫い子の「表現手段」として見ることができます。

この時代ともなれば 数々の色彩布を使用することも可能であったかと思いますが、この表現者には、藍が重要であったようです。

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あらゆる資材が充分でなかった江戸・明治時代にも熟練者によって良い「襤褸」が遺されました。

そして、あまりに完成度の高い服飾が空気のように存在する現代、継ぎ接ぎ「襤褸」に癒される人々の存在が静かなムーブメントとなっています。

これも「人が着る事」の自然なサイクルでしょうか。

近日中にこの続きの流れご紹介します。

 


追伸
よくよく使用されたアイテムの有用な部分だけを布材のリサイクルした流れと、一方で 別の流れとして限られたい資材でしか糸として仕上げられなかった 「希少織」布 これまでもご紹介しましたが、資料揃えていずれ ご紹介いたします。
by saiyuu2 | 2016-01-19 04:01 | Comments(0)
おはようございます 岩手 江戸型染 麻子供着です。
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岩手でお好みの麻布に型染を施したアイテムによる子供晴れ着です。

色入りの小柄は、小柄自体に江戸っぽさを感じますが、着色されたことで その地域独特の風合いを出しています。他にも 太手麻の藍小柄型染の武士使用のごとき 江戸期仕事着の存在が有り、江戸期は小柄の藍型染めが武家なのか農家なのか 半農半武士が使用の農耕「晴れ着」がこの地の大人にも子供にも使用されたと思います。
その場合でも、表はオリジナルの壱枚もので仕立てられていますが、裏地は江戸期の木綿のはぎ合せです。
江戸期の禁令による 木綿の貴重さがしのばれます。
布材の貴重で乏しい場合 継ぎ接ぎは、やむを得ないことで これとてギリギリの選択が有ったのでしょう。
そうゆうシーンから考えつくデザインに大切な布を手際よく仕立て上げる事の貴重さが現れます。

Wスレードの刺し子横糸と襟のステッチについては、後日 ご紹介します。

ではまた
by saiyuu2 | 2016-01-17 04:23 | Comments(0)
おはようございます 岩手 襤褸 野良着 続けます。 4.5-3m
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ここから内側です。
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江戸期には、東北地方でも幾分西国の木綿布の移入が有りました。
これらの絣は、多くが引き回しなどでオリジナル布としてよくしようされました。
良く使いこなされて、ほどよく遺された木綿布を上手にはぎ合せたアイテムが作られました。
これは、子供着に仕立てられた野良着のようなアイテムですが、
何枚かを重ねた分厚い仕立てで 寒冷地での子供用おシャレ着として「はれ」の日に着られたのかもしれません。
岩手あたりでは、江戸期から明治の早い時期までこの様な絣他、木綿布を見ることができますが
時代が進むと 元々あった麻布が多く使用されるようです。
時代背景によって使用される布材や野良着の仕上がりにその土地の特徴的なアイテムを見ることができます。

明日は、江戸期の麻布 子供着をご紹介します。
by saiyuu2 | 2016-01-16 04:08 | Comments(0)
おはようございます 2014.三月八日と四月一日ブログの襤褸に少し関連づけて       2014.三月三十一日の襤褸の続きです。

以下が2014.三月八日と四月一日のブログ画像です。
これは、新潟地方で採集された襤褸です。
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これをA側
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これをB側
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とします。

この夜着裏地自体は、綿入り夜着の内部にありこの布団を羽織るとき以外は、目につきにくいところです。
客用の布団の内部にしては、裏地がずいぶんと擦り切れるまで使われたようです。
あまりに目立つようになり 何枚かの木綿端切れを不規則に重ね合わせて 一気に何か靭皮繊維で縫われています。

B側からは、端切れ布全体を縫い付けています。そして、そのラインが端切れ布の形に添って興味深い四角いラインを見ることができます。
A側では、それこそお客に見える表情ですから 縫い合わせた「おなごし」のセンスとそれを命じた主人の家風が僅かに表現されます。その家の生き方によって遺されたこの「襤褸」は、この地方の風習と共に遺されたようです。
端切れ布の小端片を丹念に縫いとめて美しく見せる 洗練された手わざが有ります。
お陰様で抽象表現のようなこの表情は、手慣れた縫い技とその家の家訓で美しく構成された「襤褸」を 癒しの現代アートとして 拝見することができます。
布を大切にする心の積み重ねが「心地よさ」となって現れるのでしょう。

一方、以下の2014三月三十一日ブログ中の「襤褸」は、岩手県で採集されたアイテムです。
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2015の十一月二十三日のブログには、岩手麻継ぎ接ぎ襤褸アイテムは、ほとんどないと書きましたが、

上記のアイテムのような麻、藍染、襤褸アイテム が稀に存在しました。 

両面ともに継ぎ接ぎされています。 厚手 藍染 無地麻布を色々な藍無地ハギレからとり合わせた大胆な感覚に現代的な抽象表現を感じます。限られた時間と布材によってこそ感覚は鋭く磨かれるのでしょう。このタイプの襤褸としては、かなりの希少布野良着です。

この地で、江戸期木綿布の数は少ないですが移入の痕跡は絣布等で稀に有ります。しかし、江戸末あたりから明治期に向かうとかなり麻布の比重が高くなり同時代の木綿布オリジナル野良着は、ほとんど見られる事がなくなりました。--- 思い出していただけますか ---この地には、人間様よりもお大事な「御馬様」の存在が有りましたから。木綿刺し子野良着もほとんどありません。

明治以降、数少ない良き木綿布は、そちら様の為に使用されたことでしょう。一家に一頭と言われるほど厩がひしめいていたのですから。

しかし、東北地方は、麻アイテムに心地よき藍染が施され 勤勉に継続された労働の御かげを持ちまして、  現代に心地よき襤褸アイテムがのこされました。

明日以降に、江戸絣木綿襤褸他をご紹介いたします。
by saiyuu2 | 2016-01-15 04:58 | Comments(0)
明けましておめでとう ございます。干支の「猿」です
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東北地方には、「厩猿信仰」がありまして、牛・馬を飼う人々は、牛や馬の安産や健康、厩の衛生などを祈願し 牛小屋・馬小屋に猿の頭蓋骨や手の骨をお祀りしていたそうです。
猿は、馬の守り神であると共に、猿が神様であるという信仰があります。山王信仰、庚申信仰などです。馬と猿の関係は、猿曳き物語にでてくる「天竺から猿が飛んできて厩の御祓いをする」と言うことらしいです。
当時 人以外に人が手なずけた動物で「馬力のアル」動物は、牛と馬ぐらいで どんな作業をするにも大変役立つわけですから かなり貴重な存在だった事を認識しなければなりません。

先日も書かせていただきましたが、これらの地域で 馬は 儀式の際に馬かけ等で煌びやかに飾られ人以上に大切にされていたことがうかがわれます。
その為 厩猿をお祀りし 牛・馬を疫病から守り無事を祈願しました。神仏のご加護にすがることが大きな癒しであったと思います。かなりの数の厩が有りましたから厩猿が手に入らぬ人たちは、お札や絵馬に願いを込めました。

その進化の先にこのアイテムの存在が有ります。

今回のサル銅器置物もその地域からの出自ですので、単純に馬の守り神を具現化したものと思います。尚、右手の鈴は、チャグチャグ馬っこなどでも鈴の音が印象的なように猿のことを別名、スズノミコトといいます。ここは、ビジュアルとオーディオで重ねて猿を守り神として印象つけたいからでしょう。

馬かけ自体の筒書き絵画にも 御幣を持つサルや、桃を抱く猿の絵を見たことはありますが、このような伝承風俗があるにもかかわらず、非常に猿絵画は馬かけ画に数少ないと以前から考えていました。
ご神体が各厩に確実にお祭りされているわけですから、あらためて猿の絵を馬かけで表現することもなく別物のお目出度アイテムが描かれることとなりました。

心のよりどころをこの様なところにも求めた極めて不安定な時代から 現代社会へと数々の時代を経て

癒しのアイテムは、遺されました。

ではまた
by saiyuu2 | 2016-01-01 03:00 | Comments(0)