古布 木綿 襤褸 絣 Japanese Antique Textile Boro Kasuri
2015年 02月 24日
ここから内側です
江戸期の横手絣による 継ぎ接ぎ半襦袢です。 何回も洗いが繰り返され布の藍染は、褪色が進んでいます。
元は、布団皮でしょうが ある意味余裕がある家の素材は、同じ木綿布が 時を経て褪色が進んだ部分に再び継ぎ足されます。
大した変化は、ありませんが 本来はこのように同一木綿布で補修が隠せるを良きことと考えたと思います。これが、通常の事であれば 味わいのある襤褸など存在は、非常に稀であったはずです。
しかし、当時は、家族の頭数だけ買い揃えて足りる「お家」は少ないはずで、スペア衣服を持つ家族は稀だったと思われます。その為、先代の方々が遺した 使える部分が1インチ四方に満たぬ布さえも何代にもわたって伝え続けられ、それらの端切れは、財産として蓄えられました。
その後、賢明な選択者によって良き構成は、成しえられました。
十分でない残布から選びだす研ぎ澄まされた感覚が現代の人々に「選びの美」を感じさせているようです。
足りぬところからの努力がよきバランスを導き出しました。
一方、花洛および お江戸などでは、上質な絹呉服であろうと一度しか袖を通さぬ方々もいらっしゃったようです。そういうお品は、次から次へと下賜され あるものは、「お大事なもの」として家宝となり またある物は、宝を分けるように用途に応じて切り刻まれることとなります。
それらは、別の形の きわめて華奢なスタイルの継ぎ接ぎとなります。現在では、つぎはぎ着物や穀物袋としてそれらは、遺されています。
圧倒的な人員による手間暇かけた上級のアイテムと、圧倒的に足りぬ中から感覚のみで選び 生みだされたアイテム 同じ時期にも環境が違えば 遺されるものは 異なります。
その背景の努力を 偶然に強く印象付けられるアイテムは存在します。
その背景を知ることなしに目の前に出された「芸術的印象」は、その選択がすべての背景を超越します。
ただ一つ、共通点は求めに応じて成した事です。(これが本邦の基本でしょうか)